今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
世羅の川尻尋常小学校を二番の成績で卒業したコタカさんは、
「今度こそ一番になる」と心に誓って、本郷高等小学校に進学しました。
明治28年のことです。
尋常小学校までは片道3.3キロでしたが、高等小学校はさらに遠く、
片道10キロの道のりを歩かなければなりません。
でこぼこの山道を、往復5時間近くかけて学校に通うのは、
さぞかし大変だったことでしょう。
途中で何が起こるかわからないので、お母さんから針を渡されて、
護身用に持って歩いていました。
けれど、コタカさんよりもっと大変なのは、
6人の子どもを抱えて、父親がわりもしていたお母さんです。
毎朝4時に起きて温かいお弁当を作り、
畑仕事や家の仕事をすべてこなして、日が暮れると提灯を手に、
夜道を帰ってくるコタカさんを、戸口に立って待っていてくれました。
それほど遠くにある学校だったので、冬の間は下宿生活です。
「週末には家に帰って、お母さんに甘えられる。
いい成績を取れば、お母さんが笑って褒めてくれる」。
それが何よりの楽しみで、毎日の勉強をがんばったのです。
愛情豊かで優しいお母さんでしたが、
子どものしつけにはとても厳しい人でした。
幼いころからコタカさんに、何度も言って聞かせた言葉があります。
「手まめ、足まめ、耳まめ、目まめになりなさい。口まめだけは慎むように」。
「まめ」とは、労を惜しまず物ごとに励むことです。
手まめと足まめは、手を使い、足を使って、何でも一生懸命にやること。
耳まめと目まめは、聞いたことや見たことを、すべて学びにすること。
そして、最後の「口まめだけは慎むように」は、
一度口に出したことや言い過ぎたことは、
取り消すわけにはいかないから気をつけなさい。
ましてや、人の悪口を言ってはいけません。という教えです。
「口まめは慎むように」。
お母さんの教えを、コタカさんは生涯、自分の戒めにしました。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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