今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
明治24年、コタカさんは世羅の川尻尋常小学校に入学しました。
2歳のときにお父さんが亡くなり、
女手ひとつで6人の子どもを育てたお母さんが、学校に行かせてくれたのです。
末っ子のコタカさんは、兄や姉たちと同じように学ぶことができて、
さぞかし嬉しかったことでしょう・・・と思いきや、
片道3.3キロもある山道、歩いて通うには暗く寂しく、
「行きたくない」と駄々をこねることもありました。
そんなコタカさんに、勉強の楽しさを教えてくれたのはお兄さん。
優しく励ましてくれたのは、お母さんでした。
明治という新しい時代の追い風もあり、
教育への意識がとても高い女性だったのです。
川尻尋常小学校の教師は、校長先生も含めて二人だけ。
ときには、高学年の生徒が1、2年生を教えることもありました。
コタカさんも、得意の数学や体操を教えていましたが、
ある日、校長先生から「教え方が実にうまいねえ」と褒められたのです。
「大きくなったら先生になろう」という夢が芽生えたのは、この時でした。
そして、校長先生が黒板に書いた
「なせばなる、なさねばならぬ何ごとも、ならぬは人のなさぬなりけり」
という言葉にも背中を押されたコタカさん。
もともと負けず嫌いの性格だったので、「一番の成績で卒業する」と決めて、
勉強と家の手伝いを精一杯がんばりました。
そうして迎えた卒業式の日。
真っ先に名前が呼ばれると期待していたのですが・・・
蓋を開けてみれば、なんと二番の成績。
気負い込んでいただけに、すっかり気がぬけてしまいました。
けれど、そこは負けず嫌いのコタカさん。
「次こそは」と、気持ちをふるい立たせたのです。
やればできると信じて、何があってもくじけることがなかった。
コタカさんの人生を支えたのは、
ふるさとで過ごした小学校時代の思い出だったのでしょうね。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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