今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
世羅町合併20周年を記念して、今日からはじまる『大妻コタカの生涯』。
大きな愛でまわりの人を包み、たくさんの教え子に慕われた大妻先生のことを、
親しみを込めて「コタカさん」と呼ばせていただきます。
さて、時は明治17年。
広島県の世羅郡三川村久恵、
現在の世羅町で元気な女の子が産声をあげました。
農業を営む熊田家に生まれた、6人兄弟の末っ子です。
生まれた日は6月21日だったのですが、戸籍に記された誕生日は11月20日。
田植えで大忙しの時期だったので、
出生届を出すのが5か月も遅れてしまったのです。
しかも、父親が「忙しい時に生まれてきて、コマッタことだ」
とつぶやいたことがきっかけで、
家族から「コマッタ子、コマッタ子」と呼ばれるようになりました。
愛情とユーモアを込めた呼び名だったのでしょう。
やがて、田んぼの稲が黄金色に実り、刈り入れもすんだころ。
出生届がまだ出されていないことに気づき、
「コマッタ子」ではいくらなんでもかわいそうなので、
「コタカ」と名づけられたのです。
名前の由来については、コタカさん自身が笑い話にしていました。
そして、自分が生まれた村のことも、こう語っています。
「広島県の東部を流れる芦田川の岸を、
上流に向かった山の中にあります。
酒屋へ三里、豆腐屋へ二里。
山坂(やまさか)越えてゆかねば、
人通りのある里道(さとみち)へは出られませんでした」
三川村久恵という地名は、今はもう地図から消えていますが、
山に囲まれたすり鉢の底のような土地にあった集落で、
その昔、平家の落人が住み着いたとも言われています。
そんなふるさとで、家族の愛情をいっぱいに受けて、
のびのび育ったおてんば娘のコタカさん。
生まれた時に「コマッタ子」と言われた女の子は、
ここからどんな人生を歩んでゆくのでしょうか。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
`この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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コメント (1)
ヤマダ - 2024.10.07 23:28 0
昨今、有名なハナシ。楽しみにしています。
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