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【RCC東京通信】15歳の女学生が目撃した核攻撃の惨状 語り続ける理由とは

RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

94歳の被爆証言を聞く機会に恵まれた。

東京都立川市に住む佐藤信子さん。

市内の中学生を対象にした平和学習会で講話した。

94歳の佐藤信子さん 東京で証言活動を続ける

当時佐藤さんは15歳。

広島駅で呉に向かう汽車に乗った際に原爆に遭った。

目のあたりを切ったが無事だったという。

翌日、佐藤さんは呉の実家から一人暮らしの祖母を心配して単身、広島に入った。

次々語られる生々しい体験談

広島のまちを歩いたときの体験談は具体的で圧倒される。

おんぶした子にコップの水を飲ませようとする女性に、「亡くなっていますよ」と教えてあげたら「この子は死んでいるわけない」と叱られた。

荷車を引く馬が焼けて膨れて脚を上げた状態で死んでいた。

それを見たら涙が出て動けなくなった。

人がたくさん死んでいる中を平気で歩いてきたのになぜか歩けなくなった。

既に息絶えているアメリカ軍人が電信柱に縛り付けられていた。

取り囲んだ男たちが棒で殴っていた。

やめるよう言ったら「こいつらが広島をこんなにしたんだろ」と怒られた。

数々のエピソードが語られる。

平和学習会で講話する佐藤さん 7月20日 東京都立川市

いまもあの日が夢に

証言活動を始めたきっかけは、随分と前ではっきり覚えていないが、知り合いの校長に依頼されたことだという。

自転車にも乗れるが、娘からはやめるよう注意されているという佐藤さん。

快活な佐藤さんだが、あの日の夢をみて自分の声にびっくりして目が覚めることもあるという。

証言を続ける理由

子どもたちへの証言活動を続けるのは戦争がない世界にしてほしいから。

「大きくなったら絶対に平和な日本になるように働いてください。よろしくお願いします」と、この日の講演を締めくくった。

あの日を記憶する貴重な証言者だ。

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