RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。
80歳の木村一茂さんがおおぜいの前で原爆の話をするのは初めてのことだった。
先日営まれた東京都主催の原爆犠牲者追悼行事で両親から聞いた被爆体験を語った。
家族の被爆体験を証言する木村一茂さん 7月21日 東京都葛飾区
爆心地から2.5㎞にあった広島市己斐の自宅で母、3つ違いの姉、生まれて間もない弟と一緒に被爆。
木村さんは幸いにも無傷だった。
家族は近くの山につくられた防空壕に避難してしばらく過ごしたそうだ。
弟は下痢を繰り返して栄養失調となり翌年5月に亡くなった。
木村さんに弟の記憶はない。
母は産後1年近く出血が続いた。
陸軍船舶練習部経理課長だった木村さんの父は爆心地から1.5㎞のところで被爆。
頭に大けがをしながらも救護活動にあたった。
父は10月、車に木村さんを乗せて市内中心部を回った。
「この光景は二度と見ることがないと思うのでよくみておきなさい、と言ったんだ」
と後年、何度も聞かされた。
生後8か月の木村さん 1943年11月生まれ
当時1歳だった木村さんに被爆直後の記憶はない。
それでも両親からは原爆がもたらした惨禍を教えられて育った。
家族写真などをスライドで表示しながら約20分かけて証言した
「次の世代に伝えていくことが大事なことかなと思っている。」
講演を終えた後、木村さんはこれからも話をしていきたいと抱負を口にした。
木村さんが頼もしく思っているのが20代の孫娘の存在だ。
木村さんが語る〝原爆の家族史〟に関心を持ち、ことしの平和記念式典にも木村さんとともに参列するという。
木村さんの思いは確実に継承されている。
ことしの平和記念式典には東京都の遺族代表として参列する
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