RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。
ことしも姿を見てほっとした。佐藤力美(りきみ)さん。
太くて白い眉が特徴の愛嬌ある人物だ。
86歳の今も秋田県被団協の事務局長を務める。
佐藤力美さん 6月19日 東京
佐藤さんの姿を確認したのは日本原水爆被害者団体協議会=日本被団協の定期総会。
日本被団協は都道府県の被爆者団体からなる唯一の全国組織だ。
例年、6月と10月に東京で大きな会議が開かれる。
佐藤さんが深く印象に残る理由はその風貌ではない。
近年、佐藤さんは発言の機会のたびに、
「(秋田県被団協は)1人になるまで解散しない」
などと活動継続の決意を示している。
各地の被爆者団体は、被爆者の高齢化や減少で近年、解散や活動停止に追い込まれている。
秋田県被団協も現在、会員は14人だという。
そんな現状にあらがう毅然とした態度が心に響いた。
日本被団協定期総会 6月19日
佐藤さん自身は被爆者ではない。
だが、父親が暁部隊(陸軍船舶司令部)に所属していて広島市の皆実町で被爆した。
家族は父を亡くなったものと思っていたが、9月になって瀕死の状態で秋田の家に帰ってきたという。
大きなけがはなかったが下痢の急性症状に見舞われたとのこと。
原爆について「どんなことがあっても許すことはできない」と生前、語っていたという。
佐藤さんが縁あって秋田県被団協で活動を始めたのが1964年。
被爆者は多いときで約90人いたという。
主要な取り組みは8月6日に開催する慰霊祭。佐藤さんは86歳になったいまも意気軒昂で活動を止める気はない。
「まんだぁ日本政府がねぇ、核兵器禁止条約に加入しないってことはまったく残念です、世界に恥ずかしい。ますます日本の運動が必要ですね。」
別れ際に秋田弁でそう言い残すと、軽快に小走りでエレベーターに乗り込んでいった。
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