広島県呉市倉橋町で復元され、地域のシンボルとして親しまれてきた遣唐使船が老朽化のため解体が決まりました。船との別れを前に、恒例のお祭りがありました。
先週末、呉市倉橋町で開催された「くらはし遣唐使船祭」です。地域の人たちから愛されてきた遣唐使船を知ってもらおうと、20年前から開催されています。

ステージでは地元の人たちなどが歌や華やかなフラダンスを披露して、会場は熱気に包まれました。
しかし、ことしは、地域の人たちや歴史ファンにとって大きな節目の祭りとなりました。倉橋のシンボルとして親しまれてきた遣唐使船の解体です。
倉橋のシンボル「遣唐使船」

解体が決まったのは呉市の桂浜沿いある「長門の造船歴史館」で展示している復元された遣唐使船です。
建造から38年が経ち老朽化が進み9月に、その役目を終えることになりました。
くらはし遣唐使船保存会 梅本好憲会長
「長い年月の間に傷みが酷くて。本当は中に入れて見学されてたんですけど、もう中に入れる状態ではないです」
20年前には、遣唐使船を覆うように屋根を増築しましたが、船体は色あせてしまい腐食を止めることができませんでした。
「危険な物をいつまでも置いとくと仕方がないということで解体を決めました」
遣唐使船は1989年に建造

遣唐使船は、1989年に開催された「海と島の博覧会ひろしま」で展示するために倉橋島で建造されました。倉橋島は、古くから造船が盛んだった記録が万葉集に残されていて、日本と大陸を行き交う遣唐使船も建造されたと言い伝えられています。
忠実に再現された遣唐使船は、実物大の木造船で長さ25メートル、幅7メートル、帆柱までの高さは17メートルあります。
建造費は、約1億2000万円。倉橋島の船大工15人と宮大工が協力して1年かけて完成させました。自立航行は出来ませんが、さまざまなイベントに参加していたということです。
建造に携わった人も別れを惜しみ

「長門の造船歴史館」にどこか名残惜しそうに船体を見つめている男性…。かつてこの遣唐使船の建造に携わっていました。
中田造船所 中田芳樹代表取締役
「懐かしいというか、無くなるとというとさみしいですね」
全盛期の美しい姿に思いを馳せながら懐かしそうに当時を語ります。
中田造船所 中田芳樹代表取締役
「中国の方まで視察に行ったりね色々ありましたけど、楽しい仕事をさしてもらいましたよ。上の屋形なんか広島の可部から宮大工さんを連れてきて一緒にやったんだけどね」
夜空を彩る花火で別れを惜しみ

船との別れを惜しみつつ、祭りのフィナーレを飾ったのは、夜空を彩る打ち上げ花火です。
ことしは、約3000発の花火が打ち上げられ、1万5000人が夜空に咲く大輪を見ては、歓声をあげていました。
観客
「今年は例年にまして良かったね」
「(遣唐使船を)また造ってほしい絶対、造ったほうがいい。それがここの地域のシンボルでもあり大切なものなんで」
遣唐使船が地元の人たちに見せてくれた歴史への誇り…。これからもずっと続きます。「くらはし遣唐使船祭」は来年も開催される予定です。

















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