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広島市の高校で大阪市の小学生を招いて被爆体験や平和の思いをつないでいく集会が、このほど開かれました。
「94歳になります。原爆で遭って80年生きてきました」。13歳のときに被爆した河田和子さん(94)。広島皆実高校(広島・南区)で11月、修学旅行で訪れた大阪市立平野小学校の6年生115人に、語りかけました。
「80年前に起きた8月6日の体験は、今になっては物語かもしれない。でもそうじゃないんです。 だから、皆さんにも是非ですね、想像力を働かせていただいて共感していただきたい」
河田さんは皆実高校の前身、県立広島第一高等女学校の卒業生です。13歳のとき、爆心地から2・5キロ離れた工場で被爆しました。間一髪、大きなけがはありませんでしたが、爆心地近くにあった自宅は火に飲まれていました。
道中、黒い雨も浴びながら、なんとか市外の疎開先へ避難。そこで偶然、外出していて無事だった母親と再会します。しかし不思議なことに、何の感情も沸いてこなかったのだと言います。

それからは、自宅にいたはずの父、叔父を探し回りました。それから1か月が経ち、枕崎台風が広島を襲った後のことでした。自宅跡いくと、2人分の遺骨が見つかったといいます。持ち帰って弔おうとしたとき、初めて涙が出たといいます。感情が戻った瞬間でした。
皆実高校では、河田さんの被爆体験を聞き取り、次の世代へ伝える取り組みをしています。平野小学校の児童を招いたこの日の集会もその取り組みの一つです。
この日は、河田さんの体験を伝えるとともに平野小学校の児童と一緒に平和の大切さなどについて話し合いました。
河田さんを囲んで話をした児童が「本当につらいことがあった。それをみんなに伝えていきたいなと思います」と伝えると、河田さんは「本当に戦争は絶対悪ですからね。皆さん伝えてあげてくださいね。ありがとう」と答えました。
参加した大阪市立平野小学校の児童
「今生きているこの日常、当たり前の日常が、宝物なんだなと改めて感じました」

13歳で被爆した河田和子さん
「皆さんのおかげで、こうして元気をもらっている。だから来年もね、元気でまたお会いしたいと思います」
来年もまた、再会することを楽しみに、母校を後にしました。












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