特定の食品を食べると、かゆみや息苦しさといった症状が現れる「食物アレルギー」。食物アレルギーをもつ子どもの割合は近年、急増していると言われています。そのアレルギーがある人は、避難所で提供されるものを食べられないこともあります。全国でも課題になっているこの問題。災害時の食物アレルギー対応の現在地を取材しました。
広島県東広島市に住む後岡(せどおか)優辰くん、8歳です。生まれつき、食べられないものがあります。
優辰くん
「牛乳、小麦、卵…」
乳、小麦、卵、そばなどの食物アレルギーがある優辰くんは、アナフィラキシーで入院したこともあります。
カメラマン
「これは特別な?」
母・亜希さん
「これは豆乳とハチミツと、ゼラチンで作っています」
調理中の蒸気でも症状が出ることがあるため、原因物質を含む食材を除いた「除去食」を家族みんなで食べています。
母・亜希さん
「家が何もない状態であれば過ごせる状態であれば、あまり不安はないんですけど…」
7年前の西日本豪雨災害は、県内各地で甚大な被害をもたらしました。後岡さんも一時、避難所に身を寄せたといいます。そこで直面したのが食べ物への不安。避難所で優辰くんが口にできそうなのは水やお茶などの飲み物ぐらい・・・。そこで頼ったのが、三原市で活動するアレルギーの会でした。
母・亜希さん
「備蓄食品があるので、もしよかったら取りに来てくださいと言われていたので、藁にもすがる思いで本郷まで取りに行かせてもらいました。本人は食べられなかったら生きていけないので必死でしたね」
三原アレルギーの会ひだまり(広島県三原市)の副代表・矢島恵子さんは、後岡さんに支援物資を手配しました。
矢島さん自身も被災。そして、自身の2人の子どもにも、食物アレルギーがあり、食べ物確保に苦労していました。
矢島恵子さん
「市役所とか避難所で支援物資の支給があったんですけど、パンと水だけで、下の子食べられないし」
矢島さんはすぐに会のメンバーとともに、三原市内にアレルギー支援の物資拠点を設置しました。県内外の患者の会などと連絡を取り合い、支援物資を確保し、同じ悩みを抱える被災者に配っていきました。
現状を知ってもらうため、発生間もない段階でも広島市内などの患者会の視察も受け入れました。その後も、それぞれの団体とも意見交換を重ねて、災害の教訓を冊子にまとめました。
会員から寄せられた災害時で困った点や相談内容だけでなく、必要な備えなどについても掲載しています。
矢島恵子さん
「私らの後、北海道の地震も、能登地震も同じような課題がある。災害起きるとアレルギー持ってて、こんなことに困るんだよって知っててもらえる機会になったらいいなと」
一方、広島県三原市では、矢島さんたちの助言などをうけ、災害備蓄の見直しを実施しました。備蓄拠点には、アレルギー対応の粉ミルクを追加。また、市内44か所の避難所には、アレルギー物質28品目不使用のアルファ化米や、ライスクッキーを配備しました。
誤食を防ぐためのビブスも避難所に用意しました。3月には、避難所でアレルギー対応も含めた温かい離乳食を提供できるよう、新たに協定を結ぶことにしています。
三原市危機管理課・宗近誠治課長
「どうしても備蓄をするだけでは品目にも限りがありますので、災害時には(メーカーなどに)避難所の方に届けていただくなどの協力をお願いするようなことを今も行っております」
長男に小麦や卵、牛乳などのアレルギーがある後岡さんは、7年前の教訓を踏まえ、自宅の1階に、防災バッグを準備しました。中には、アレルギー対応の食材とともに、ビブスも入っていました。
母・亜希さん
「これ1個あるとすごく安心です。私の中では。やっぱり親切で(周りの大人が)いろいろくれたりするかもしれないので」
子どもたちが食べ慣れた食材のローリングストックも続けています。後岡さんはこうした備えに加えて普段から身近なところでつながりを持つことも大事だと話します。
母・亜希さん
「地域でつながっているグループが大きくじゃなく小さく点々とあればもっと助け合って、情報交換もできるし、不安も解消できるかなと思います」
自分で身を守る「自助」を進めつつ、いかに食物アレルギーへの理解者を増やしていくか。今後の大きな鍵となりそうです。
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