今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
昭和43年、大妻学院は創立60周年を迎え、日本武道館で盛大な記念式が行われました。
裁縫と手芸の塾から始まった学院の歴史は、女性の自立をめざした女子教育の歩みそのもの。コタカさんは84歳で、この晴れやかな日を迎えたのです。
翌年の秋、コタカさんは東京を出発して、愛知と関西で開かれた大妻学院の同窓会に出席した後、広島へ向かいました。
ふるさとの世羅に着くと、いつもお寺と神社で手を合わせていた信心深いコタカさん。
このときは、祖先の永代供養を菩提寺にお願いして、生まれ育った生家のある甲山で、お墓参りをしました。
また、縁の深い大成龍(だいじょうりゅう)神社も訪れ、お金を奉納して、「毎年1回はお祭りをしてください」とお願いしたのです。
これが、コタカさんの最後の帰郷になりました。
年が明けて、昭和45年の1月3日。
天寿を全うしたコタカさんは、愛する夫、良馬さんのもとへ旅立ちしました。
享年85。すべてを学院に捧げ尽くした人生でした。
「学校経営を生活の糧(かて)にしない」という良馬さんとの約束を最期まで守り抜き、家やお金ではなく、教育という大切な財産を遺してくれたのです。
幼いころ、学校ぎらいだったコタカちゃんは、勉強の楽しさに目覚め、高等小学校を一番の成績で卒業しました。
もっともっと学びたくて、甲山町の多田道子裁縫所(ただみちこ さいほうしょ)へ。
コタカさんの進む道に大きな影響を与えた、この学び舎は、広島県の重要文化財、今高野山(いまこうやさん)の一角にありました。
室町時代に建立された門は、当時のまま。
若き日のコタカさんは、この門をくぐって参道をのぼりながら、教育者になる未来を思い描いたのでしょう。
志をまっすぐに貫いて、女子教育の先駆者となった出発点。
世羅のまちには今も、コタカさんの面影が息づいています。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語は、これでおしまいです。
最後までお付き合いいいただき、ありがとうございました。
それでは、ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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