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東洋額装スペシャル「大妻コタカの生涯」 第24話 私は大妻の感謝役

今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。

第24話 私は大妻の感謝役

コタカさんは、小学生のころから毎朝、焼いたお餅を食べていました。
「そのためでしょうか。人生のねばりになって、長生きができるような気がするのです」と、お餅のねばりを生きる力にしていたそうです。

そして、一日の始まりには、心の中でこう言い聞かせていました。

今日一日、腹を立てぬこと。
今日一日、不平を言わぬこと。
今日一日、うそを言わぬこと。
今日一日、人の悪口を言わぬこと。
今日一日、何事にも感謝すること。

どんなときでも感謝の心を忘れることなく、「私は大妻学院の感謝役です」というのが、コタカさんの口ぐせでした。
会社には監査役という役職がありますが、自分の役目は感謝をすることだと思っていたのです。

監査役ではなく感謝役。洒落(しゃれ)た言葉づかいで大切なことを教えてくれる、コタカさんらしい表現ではないでしょうか。すべての組織に、こんな役職があったらいいですね。

「ありがとうございます」という言葉を、いつも心を込めて口にしていたコタカさん。その気持ちは、人だけでなく、天地の恵みにも向けられました。

「食べ物を決して粗末にしないように」。震災や戦争などで物のない時代を生き抜いて、飽食の時代と言われるようになっても、教え子たちに繰り返し伝えていた言葉です。

そして、仕事ができることへの感謝も、コタカさんが生涯、人のために働き続ける力になりました。学校の授業や講演活動、新聞や雑誌への執筆など、目がまわるほど忙しかったときも、不満や弱音を吐くことはなかったそうです。

「感謝というのは、決して強制するものではなく、ありのままの感情から流れ出るものだと思います。毎日の生活で、いかに多くの恵みを受けているか。それを考えると、どんなことにも精一杯、愛情を持って生きようと思います」。

コタカさんが大切にした感謝の心は、大妻学院の学生たちに受け継がれています。

世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。

▶番組ホームページはこちらをクリック「大妻コタカの生涯」を聞くこともできます。

この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。

■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久

■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会

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