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東洋額装スペシャル「大妻コタカの生涯」 第13話 女性たちの自立自存

今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。

第13話 女性たちの自立自存

コタカさんが、日本に初めてつくったものがあります。
それは、働く女性たちが学ぶことができる、夜間の女学校です。

始まりは、昼間に学校へ行くことができない娘さんたちのために、大妻技芸学校の裁縫部で夜間授業をしたことでした。
「誰でも、いつからでも、教育が受けられる場をつくることで、自信を持って社会に貢献できる、自立した女性を育てたい」。
思い立ったらすぐ、行動に移すのがコタカさんです。

自分自身の力で生きるという意味の「自立自存(じりつじそん)」という言葉が、コタカさんを突き動かしていました。
一人でも多くの人に学びの機会を提供するため、夜間授業だけでなく、学校が休みの日に講習会を開くなど、コタカさん自身は休むことなく動いていたのです。

そして、大正11年。
夜間の各種学校として認可された、「大妻中等夜学校(やがっこう)」が開校。
大正14年には、この学校を廃止して、日本で初めて、昼間の高等女学校卒業生と全く同じ資格が取れる、夜間の技芸科第二部が大妻技芸学校に設置されました。

それまでの夜間学校では取得できなかった、専門学校への入学資格や、中等教員検定試験の受験資格が、卒業と同時に得られるようになったのです。

当時の新聞には、こんな見出しが躍りました。

「云わば最初の夜の高女(こうじょ)、大妻に新設 夜間勉強婦人の福音(ふくいん)」

福音とは、喜ばしい知らせのこと。
たくさんの女性たちが、このニュースを喜んだのでしょうね。

学問を修めて職業につき、経済的に自立するだけでなく、教養や礼儀を身につけて、人格的にも自立して生きていく。
「自立自存」をめざしたコタカさんの強い思いが、日本初の夜間高等女学校を誕生させたのです。

そして、ここからたくさんの女性たちが、社会にはばたいて行きました。

世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、新しい年を迎えて1月10日にお届けします。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。

▶番組ホームページはこちらをクリック「大妻コタカの生涯」を聞くこともできます。

この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。

■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久

■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会

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