今から140年前、広島県の世羅町に生まれた大妻コタカ。
明治・大正・昭和の時代に立ち向かい、
ただ一筋に女子教育の道を切り拓いた、その生涯をたどります。
大正6年に開校した大妻技芸学校の校長として、生徒をわが子のように愛したコタカさん。
折にふれて語りかける言葉は、ときには優しく、ときには厳しく、若い人たちが歩む道を、希望の光で照らすような力がありました。
なかでも、大妻技芸学校の校訓にした「恥を知れ」という言葉は、学校が発展するにつれて、世間にも広く知られるようになったのです。
「恥を知れ」。
かなりインパクトのある言葉ですから、ときには意味を誤解されることもあったようです。この言葉に込めた思いがきちんと伝わるよう、コタカさんは事あるごとに、こんな説明をしていました。
「恥を知れというのは、決して他人に向かって言う言葉ではありません。
あくまでも自分に向かって言う言葉です。
自分自身の良い心、良心に対して恥じるような行いをするな、ということです。
人に見られたり、聞かれたりしたときに、恥ずかしいことをしていないか。
自分の言動を謙虚に反省して、自らを戒める言葉なのです」。
生徒が大人になっても、人生の道しるべになるような校訓でしょう。
この「恥を知れ」という言葉は、夫の良馬さんが育った高知県の実家に、代々伝わる家訓でした。良馬さんのお母さんは、教養があって愛情深い人でしたが、しつけにはとても厳しく、わんぱくだった子どもたちを、「恥を知れ」とよく叱っていたそうです。それは、良馬さんとコタカさんの一生を貫く信念になりました。
コタカさんは、この言葉をたびたび色紙に書いて残しています。
筆に勢いのある読みやすい文字から、人柄が伝わってくるようです。
ふるさとの世羅町には、その字を石に刻んだ石碑が、今も堂々とたっています。
「恥を知れ」という力強い文字を見て育った世羅の子どもたち、いえ、大人のみなさんにとっても、心に響くコタカさんの言葉ではないでしょうか。
世羅町の大先輩、大妻コタカさんの物語はいかがでしたか。
つづきは、また来週。
ごきげんよう。さいねい龍二でした。
この企画は、世羅町合併20周年と、世羅町出身の教育者で女性リーダーの草分け的存在・大妻コタカの生誕140年を機に、同氏の生涯を辿るオーディオコンテンツを制作、RCCラジオでシリーズ企画として放送するものです。
■ナレーター さいねい龍二
■ライター 角田雅子
■企画 奥土順二
■ディレクター・音効 石塚充
■プロデューサー 増田み生久
■協力 世羅町、大妻コタカ記念会、大妻女子大学
■写真提供 大妻コタカ記念会
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