新たな歴史をつくるために、挑戦する者がいる。そんな広島を代表する人たちに迫る。テレビやラジオで紹介できなかった人物像を、「生涯野球監督・迫田穆成 83歳、最後のマジック」(ベースボールマガジン社)の著者である坂上俊次が描く。第3回は、自転車ロードレースのプロチーム・ヴィクトワール広島の中山卓士社長だ。
この勝利は格別だった。三原市の佐木島で開催されたロードレースで、ヴィクトワール広島はホームレース初勝利をマークした。2015年、中四国初の自転車ロードレースのプロチームとして誕生したのがヴィクトワール広島である。
ツールドフランスに象徴されるように、自転車ロードレースはヨーロッパにおいて絶大な人気を誇る。中山も、かつて競技が盛んなベルギーで選手経験がある。国内トップチームの宇都宮ブリッツェンに所属していた。U23で全日本2位に輝いたキャリアを持つレーサーが、「広島にもプロチームを」と心に誓ったのが、彼がまだ20歳代の頃だった。
優秀なレーサーだが、事業の経験はない。そんなとき、広島県内のある会社が、中山を雇い入れた。
「人脈もないどころか、挨拶も、メールの打ち方もわからない。全てその会社で教わりました」
そのうち、中山は、ある事業を任されるようになった。事業計画はもちろん、その商材を広めるためスーパーの店頭に立つこともあった。そのときの経験が、今の土台になっている。
「いくら収入がないと、事業は成り立たない。そういうことを積み重ねないと自分の給料分にもならない。そう知りました」
今、ヴィクトワール広島の経営者を務めている。決して楽ではないが、赤字になったことはない。
「お金を稼ぐことが一番ではありません。いただいたお金の中でチームの価値を上げていく。そして、社会で必要に思ってもらうことです。事業計画に沿ってやりますから、巨大補強はありませんが、赤字にもなりません」
佐木島ロードレースでは、ヴィクトワール広島のキンテロ選手が初優勝を果たした。チームでは初めて地元レースの勝利である。
「おめでとうございます。あの優勝を見ていました」。
そんな声をかけられるようになった。感動を共有した人の輪が広がる。決して派手さはなくとも、堅実なチーム運営は応援の輪を少しずつ広げている。
34歳、若き経営者は、修行時代があったからこそ、自転車レーサーでありながら、「地に足が」ついている。
坂上俊次
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