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5日に開幕する夏の高校野球広島大会。シリーズ企画最後は、シード校の1つ「近大福山」です。プロも注目するキャッチャーと、その家族の最後の夏に迫りました。
創部63年目を迎えた近大附属福山高校野球部。
繋がりのある上位打線と堅い守りを武器に、春の県大会では、センバツに出場した広島商業を破り、ベスト8に入りました。
36年前には、悲願の夏の甲子園出場も果たした近大福山。
ただ結果は初戦敗退。これが63年の歴史で、唯一の聖地でのゲームでした。
近大福山・原 則明監督
「甲子園に出るではなく甲子園で勝つという目標に向かってやってきた」
原監督が、チームの中心人物だと語るのが、4番・キャッチャー藤原康貴(ふじわら・やすたか)です。
身長185センチ、体重92キロ。高校生離れした体格を誇る藤原には、カープを含むプロ4球団が視察に訪れています。
藤原 康貴(3年・捕手)
「強みは試合の中での声掛けと、周りを見て動けるところです」
チームメイト
「中学校から一緒なんですけど、冷静さは一番。キャッチャーとしては、冷静さが一番大事だと思うので、そこは頼りがいがある」
藤原の最大の強みは、恵まれた体格から繰り出されるバッティングです。スイングスピードを生かした長打力と高いミート力を持ち合わせ1年から4番を担ってきました。原則明監督も「いいバッターですよね。パワーもあるけど柔軟性もあるので変化球にも対応できる」と高い評価をすれば、藤原本人も「ここぞの場面で一本、欲を言えばホームランを打ちたい」と意気込みます。
そんな藤原のバッティングの原点は、高校から13キロ離れた自宅で、小学生のときに父親が自作したネットでした。
藤原 康貴選手
「家でティーがしたいと言って作ってもらいました」
父親
「作る前までは小学校まで打ちに行っていたので、自宅も使って練習できるように」
藤原が野球を始めたのは、小学2年生のとき。野球を習っていた兄の練習に参加したのがきっかけでした。現在はプロも注目するバッターへと成長しましたが、ここまでの道のりは、順風満帆ではありませんでした。
藤原 康貴選手
「小学生の頃に野球肘になって、野球が一番楽しい時期だったんですけど、全国大会に出て、そこからより一層のめり込もうとしていた中での怪我だったので、1年間も野球できないと聞いたときは、どうなるか分からないというか、不安と辛さはありました」
父親
「野球にはずっと行ってはいたので、やることはやってたな?」
藤原 康貴選手
「左投げの練習をしていた。毎週病院に連れて行ってもらって、リハビリ受けたりレントゲン撮ったり、そういったサポートがあったので、親に支えられて、今は野球がて来ていると思います」
父親
「悔いのないように、仲間と一緒に、少しでも長く野球ができるように頑張ってもらいたい」
藤原 康貴選手(3年・捕手)
「指導者やチームメイトにも恵まれて、体格にも恵まれて親にも感謝して、感謝を持ってプレーして広島県の中で一番長い夏にしたい」
近大福山高校野球部。36年ぶりの甲子園へ、藤原康貴の最後の夏が始まります。
【取材後記】
藤原選手は小学5年からキャッチャーを始めて以来、ずっとキャッチャーを続けています。その理由は、守るときに一人だけピッチャーや野手と反対を向いていて、チーム全体を見れることに特別感があるからだそうです。シード校の近大福山は2回戦からの登場で「松永と山陽の勝者」と対戦します。
(RCCスポーツ部テレビ・イマナマ<2025年7月4日放送>)
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