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【RCC東京通信】岸田総理が退任「核兵器のない世界」の理想掲げる大切さ訴えた3年間

職員らに見送られ官邸を後にした岸田総理 10月1日

RCC東京支社報道制作部長が東京での取材メモを配信します。
広島の記者が東京で感じたコト。また東京から見た広島とは。

岸田さんが3年にわたる政権の座を降りた。

任期が終わる間際に国連で「核兵器のない世界」を訴え、FMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始に向けた友好国会合を開いたのは岸田さんらしいと思った。

被爆地選出の初の総理大臣とあって「核兵器のない世界」の前進に注目が集まった。

NPT(核拡散防止条約)再検討会議に日本の総理大臣として初めて出席。

「核兵器のない世界」実現に向けたヒロシマアクションプランを提唱し実践している。

被爆地でのG7サミット開催も実現した。

3つの核保有国の首脳が平和公園を訪れたインパクトは大きかった。

現実主義の追求

一方で広島サミットは核抑止論を肯定する場になったとの批判も浴びた。

その広島サミットでは「理想と夢想は違う。理想には手が届く」と説いた。

理想を大事にする現実主義者。

これが私の岸田さんの印象だ。

決まり文句は「現実的で実践的な取り組み」。

その姿勢は被爆者団体や核兵器廃絶を訴える人々には物足りないと受け取られることも多く、厳しい声も上がった。

それでも3年間、ことあるごとに現実=「厳しい安全保障環境」を、理想=「核兵器のない世界」に導くと訴えてきた。

何度かインタビューする機会があったが「理想の松明(たいまつ)は絶対に手放してはならない」と力を込めていたことを覚えている。

国民全般にどこまで伝わったかはわからないが理想を掲げることの大切さは示し続けた。

そのうえで現実的で実践的な取り組みを進めるのが岸田さんのスタイルだった。

核兵器禁止条約とは距離を置き続け、締約国会議へのオブザーバー参加すら選択しなかったのも現実的で実践的ではないという判断だったのだろう。

被爆地を選挙区とする初の総理大臣だった岸田文雄氏

ライフワークの今後に期待

8月の退任表明の際にはRCCの文書での質問に対し、

「今後も『核兵器のない世界』を何としても実現するという揺るぎない決意と信念をもって尽力していく考えです。」

と、書面回答した。

核兵器のない世界をライフワークとする岸田さんに今後も期待したい。

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